伊豆半島周辺の火山位置と火山が終息したであろう年代を記した図面である。どうやら20万年前頃には伊豆半島内陸部での噴火が終わり、現在の骨格となる山脈が形成され、河川も形成されて行き植物が繁茂し動物も活動し始めた。特に伊豆半島で注目されるのは河津から下田にかけ火山活動が確認されていないことである。
旧石器人が生活の場と選んだのは伊豆半島南東部だった可能性が高いのではと思う。それも漁撈と塩が摂取しやすい沿岸部辺りを選んだに違いない。仮にこれらの人々が筏を造れる能力を有し筏を操れる技能を持つ海の民であったとするならば、神津島へ渡って旧石器人にとって宝石以上の価値を有する黒曜石を採掘し、魚や獣などの解体(調理)や獣皮の切断などに使い、狩り・漁撈・草木などを切る道具として使い、決して腐らず錆びない鋭利なガラス質の刃物が当時の山の民の耳目に触れない訳は無く、またたく間(約1000年〜1万年単位)で伝播されて行き、山の民にとって到底考えられない海を渡っての上質の産物と聞いては、たちまち神津島黒曜石の虜になった筈である。
「刺身は包丁」と言われている位に、生肉と切れ味は切っても切れない関係とされる。カミソリに匹敵する切れ味、切れなくなったら小さくして使って行く。黒曜石は火山の作った天然ガラスと称されるが、まさに3万5千年前〜1万5千年前の伊豆半島南東岸の海の民は日本初のガラスルネッサンスのポテンシャルを握ったと感じられる。
旧石器時代の遺跡発掘は大きく遅れている。なぜかと言えば、遺跡の大半が土中深くか海中に在る筈で発掘調査が難しく財政面からも予算が付き難いからだと思う。反面、縄文海進の時台地にあった縄文時代の遺跡発掘は急速に進んだ。台地への住宅建築や道路工事にともなう市の先行遺跡調査の後押しもあったからだ。
反面氷河期海退のあった旧石器時代の現場検証は遅々として進まない。3万年以前に渡航能力を有すことなど想像すらできなかった先入観があったことは事実だ。旧石器時代の丸木舟は一艘も見つかっていないし、丸木舟を造ったであろう磨製石斧も僅かしか見つかっていない。細い木を使った筏やカヤックなら発見は困難視される。
ただし、近年の黒曜石分析科学技術調査により日本の黒曜石が日本の広範囲の遺跡から神津島産の黒曜石が混在すると判定され、逆説的に当時伊豆半島南東部の旧石器人が渡海技能を有していたと考えざるを得ない状況になっただけで、陸上海中考古学は遅々として進展していない。
私が思うには日本列島がアジア大陸の海岸線に立地したころ、きっとアジア大陸の東岸の黒潮により暖かい海岸に面する日本半島に旧石器人の多くが集中していた可能性は高く、アジア大陸が日本列島と分離した後でも、後世の例ではあるが五弦の琵琶や神社仏閣の如く大陸では消滅し日本で存在を確認できるように、一見列島という辺鄙の地こそ歴史を留める可能性は高く、今後は日本列島の東の外れの伊豆半島南東エリアの旧石器時代の遺跡発掘調査の重要性を再認識すべきと思われる。
なぜなら、日本の当時の文化的経済的技術的中心地は後世の京都奈良や大阪江戸でも無く、旧石器時代の文化中心の一つは伊豆半島南東エリアに在ったと考える。私達の考える時代のイメージは間違っている公算も高く、未だ遅々と進まぬ石器頼りの歴史検証の在り方を変えなければならないと思う。
さらに旧石器時代の海退だが、いくら進んだとは言え神津島と伊豆半島とは陸続きになることは不能視され、渡航の事実は否定できない。なんらかしらの方法で海を渡って黒曜石を広範囲の山里へ運んだものと思われる。
さて、伊豆半島の火山と旧石器人の関係は渡海の目印となり得たのは、富士山と箱根の火山、三宅島と大島の火山の煙程度に限定され、伊豆半島内陸部での火山は既に終息しており段間遺跡辺りは火山の心配は無く、目印になったのは陸に近づいてからの山並みの形状だったと思われる。ただし、河津段間遺跡周辺の自然湧出する高温源泉から立ち上る湯煙がどの程度だったか、渡航の目印になり得たかどうか知見を持たない。
河津の段間遺跡の地域は見高と称され、当時として高台にあり陸上から相模湾の見晴らしに恵まれ海の様子が一望される。古来より天城火山流を避け得た地域でもあり、飲み水も洞窟も豊富にあった。
" 神津島 河津桜に波の寄す "
平成17年に発掘調査が開始された河津の見高・宮林遺跡から3万数千万年前と見られる黒曜石が発掘された。同時に2万8千年前の狩り用落し穴の土坑が見つかり、東伊豆の旧石器人が短期長期に亘り河津見高周辺で生活していたことが裏付けられた。先に記述した段間遺跡は縄文時代であり、縄文人が違う場所で大量の黒曜石を見付けて見高へ運んだのではという疑問が消え、東京・武蔵野台地の旧石器遺跡(約3万5千年前頃)から神津島の黒曜石が発掘されていることと年代も符合することから旧石器人が河津見高周囲を生活圏として遊動していたことが明らかとなりつつある。伊豆半島沿岸で初の旧石器時代の遺跡として今後益々注目されよう。
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